徘徊する高齢者

徘徊という言葉は、介護に関わる方なら誰でも知っているし、実例だって多く経験されていることと思います。

けど、若く元気な人や、身近にそういう人がいない方にとっては

なんのこっちゃ?

という感じではないでしょうか?ましてやこの徘徊が「地味だけど大問題」だと認識できるかといえば、答えはNoでしょう。

フラフラすることの何が悪いのさ。
年寄りだからせいぜいそこらでも探せばすぐに出てくるさ!

という考えだったとしてもそれは仕方のないことです。だって徘徊の怖さがわからないのですから。

徘徊から行方不明になる方は年々増加傾向にあり、去年(2019年)はざっと1万7千人が徘徊から行方不明になっています。交通事故での死者より遥かに多い!というか、そんなに行方不明になってるの!?と驚きませんか。

認知症による徘徊には大抵の場合なんらかの理由があって、ただ無意味にフラフラするにではないというのは、ご存知の方もいるでしょう。

・懐かしい我が家に帰りたい(今はもうない)
・思い出の場所に行きたい(今はもうない)
・仕事場に戻らねば!(とっくに退職)

他にも色々ありますが、懐かしい昔の記憶を辿って、そこに行こうとするわけですね。しかし、当人以外はそのことがわからないから「意味もなくフラフラしている」と思うわけです。

あるいは、理由が分かった上で「もうあの家はないのよおばあちゃん」と諭しても、本人はそれが理解できずに(あるいはその話を忘れて)帰りたくてたまらなくなるとか。

実際に、これは聞いた話ですが、某GHにいたおばあちゃんは冬の札幌を当て所なく歩き回り、なんと20km先の道路で発見されたことがあったそうです。防寒具も着ずにスリッパばきでですよ。それを聞いた私は「よく死にませんでしたね」と思わずとても失礼な感想を述べたのですが、上記の徘徊だって、つまりはそういうこと。高齢者だからといって侮ってはいけないのです。とんでもなく遠くに行っちゃうのです。

だから、GHもそうですが、デイサービスなんかでも、玄関は常に閉めっぱなしとか、柵やセンサーがついているとか、対策されているところがほとんどだと思います。

徘徊しないためには意識をいい意味でそらせることです。

その方の好きなことや趣味を一緒にするとか、仲良くなって色々な話をするとか。寂しくさせない一人にしない、あるいは適度な距離を保って見守るとか。

それと、地域連携については、大抵の介護事業所は「認識している」とはいえ、ちゃんと連携できているかと問えば、答えはNOです。中には全く地域との接触がない事業所もたくさんあるのではないかと私は思っています。

けど、それはそれで仕方のないこと。

綺麗事を言っても仕方ないのです。そんな暇なんてどこにもありませんから。地域密着型のデイサービスで年に二回ほど運営推進会議をやるのがせいぜいですから。

だからこそ、この文章を読んでいる方に訴えるのですが、やっぱり多くの人が「なんでこんな時間におばあちゃん歩いているの?」と思うことが大事かなぁと。

冬なのにコートを着てないとか、服装が季節にあってないとか、こんな夜遅くにどうして一人で歩いてるんだろうとか。認知症の徘徊にはほぼ「必ず」違和感があるのです。普通の認識でいいので、「あれっ」と思ったら、近くの交番まで連絡を。

 

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