ござる介護ニュース)ダブルケアってなんでもカタカナ言葉になってしまうのはどうなのかしらと
1、2年後どうなっているか分からない…介護と子育て同時期の「ダブルケア」奮闘する35歳女性の悩める日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/527e92ba1332e9bec20262edd360c558a4c7473f
こういうことを書くと、怒られてしまうのかもしれませんが、記事を読んだ限りでは、頑張ってる私って素敵!という感じをどうしても受けてしまいます。
介護をしてあげたい
というのはとても素敵なことですが、自分で自分を追い詰めてますし、その結果として「こんなに頑張ってる私って素敵」となってしまっています。周りを頼らないというか、あえてきつい言い方をすれば、自分のしたいようにするという考えで自分のしたいようにした結果として自分の都合に周りを合わせるようになってしまっているとしか思えません。そしてこんな感じの場面は、介護の現場にはそれなりにあって、だからそれなりに見てきました。
ところで、そういう方が介護サービスを「柔軟」に使い始めると、決まって言う言葉があります。
「なんでもっと早くに(介護サービスを)利用しなかったんだろう?」
自然の食品がいいからといって毎日手作りの料理やおやつを作り続けている方を知っていますが、いつも愚痴ばかりです。いわく
「こんなに頑張ってるのに」
言い換えるなら
「こんなに頑張ってる私を誰か褒めて」
なんですよね。マックで昼食なんて許せないのでしょう。ごめんなさい。私は割とマックを活用しています。手作り料理もそりゃあしますが、毎日なんて無理。ファーストフードはありがたいです。吉野家の牛丼も定番です。レンジでチンは素敵です。おかげさまで子供達は元気に育っています。息子は私の身長を超えました。反抗期で辛いです。苦笑
塾に行きたいと息子が言い出したのはいいのですが、予算はありません。ないものはないのです。
介護の現場に長くいると、思うことが色々あるのですが、だからなのか、上記の記事を素直に読めません。
そもそも違うと思うのです。
子育てと介護の窓口が別なのは当たり前だと思うのです。自分の都合で「面倒」だと感じてるだけではないでしょうか?支援を求めづらいのではなく、周りを自分の思い通りにしたいだけなのではないでしょうか?自分の思いがあるのは悪いことではありません。けれど、それはあくまでも自分の思いってだけのことです。自分で望んで介護をしている。大変な思いをしている。なのに行政は複雑だ。
なんかおかしくないですか?
それと、私が言うのもなんですが、お金はどこから出てるのですか?と。旦那さんの影がまるでないのはどういうことなんだろう?旦那さんの稼ぎもありますよね?それなしで介護できますか?結局甘えまくっていませんか?と。
お子さんのために高い月謝を払って塾に行かせる親もいると思います。中には相当無理している方もいることでしょう。けど、それは自分の責任ですよね。私にはそこまでの能力はありません。ごめんよ息子。けど、ないものはないのです。
自分の思い描く生活そのまんまの生活ができる人ってどのくらいいるんだろう?
それと、こういうカタカナ言葉って、どうにもこうにも印象が悪いのです。政治運動してるみたいで。介護にこじつけた政治運動がしたいのではないか?と思えてならないのです。こういう言葉を作って、話題を作って、社会はなってないと訴えて、政治が悪いと訴える。そんな感じじゃないですか?
けど、ちょっと妥協して、介護サービスもちゃんと使って、適当に手を抜いても、誰もなにも言わないと思うのですがどうでしょう?行政が悪いと愚痴るよりもずっと健康ではないでしょうか?愚痴も出なくなりますよ。体も楽になります。旦那さんに優しい言葉をかけることもできますよ。優しい言葉をかけてますか?
こういうのをレスパイトケアって言うんですけど。
何か色々と引っかかってしまったので、記事にしてみました。